中学受験に挑む!         かわいい娘よ頑張って!

関西在住、我が娘の中学受験への日々・・・!

親の受験経験(単なるおっさんの昔話)

私の小学生時の中学受験って、自分と全く関係ない世界のことで、クラスで私立の中学校に行くのが2人という、本当に別世界の話しで、中学受験なんて知識の片隅にもなかったです。(地域柄でしょうねぇ)

現在の関西の中学受験の受験割合は、総人数の10%程度と統計が出てますので、当時クラス人数が45人で受験2人っていうことは4%!まぁ異世界っすね。(地域柄ね、地域柄!)

当然、地元の公立中学に進みました。

そんな私の初めての受験は、高校受験でした。

「受験」っていまだに鮮明に覚えてます。

私立の進学校で、行きたい高校があり、受験したい旨を親に言ったところ、併願で受験し、公立の進学校へ行ってほしいと、提案され、了承しました。

その私立高校は、専願と併願では合格するのに偏差値の差があり、私の合否判定は、専願は〇、併願は△でした。

結果、不合格・・・。

当時、私の中学校があった大阪のとある地域は、「地元集中」っていう変な思想が横行しておりまして、この中学からは、この高校へ行くべし!っていう指導がされてました。

学区内に希望の高校があっても、先生方の大変な妨害にあい、断念させられるということがありました。

具体的には、親呼び出し、放課後監禁、複数の先生で取り囲んで威圧、最終は内申書への罵詈雑言記載です。

まぁ昭和のあの時期にあった、先生方の共産思想による一環ですね(党員の先生も多かったですしね)あ、私は是々非々の無党派層です(笑)

で、私立不合格もあって、公立進学校の受験を強烈に反対されたので、「地元集中」の指定の高校へ行くことになりました。

その高校の偏差値は、なんと「38」、逆にスゲェ!

どんな雰囲気の高校かって言いますと、当時流行っていた漫画の、湘南爆走族とかBE-BOP-HIGHSCHOOLの世界って感じでしたね。まぁそれはそれで、楽しかったですが、勉強はレベル低かったです。一応、特進クラスなるものがあって、そのクラスに所属はしてました。

その特進クラスから進学するのは、専門学校とか短大が主で、大学の現役合格はFランに3~5人だったかな?当然国立大学は0人、関関同立も0人、たしか産近甲龍に2人の結果でした。この2人は高1から知ってますが、本当に賢かったです。この環境でよく勉強できるよなぁと感心してました。(後述しますが、もう一人賢い有名人いてました)

当時はFランって表現なかった気がします。偏差値40以下の大学って表現してました。

試験も小論文のみとか、2科目だけとからしく、合格を誇らしげに自慢されて、むかついた記憶があります。あ、私は受験してないです。

やつらは今、どうしてるんだろう・・・。

なので、私は予備校で高校の勉強をそれこそ本当に1からやり直しました。

浪人中、重病説がでたりして、ずっと入院してるらしいで、とか言われてたそうです。

予備校行くのに普通に外出してたのに、なんでやろ?

めでたく大学合格後に、久しぶりに会った友人数名から聞いた話しなんで、人の不幸って蜜の味なんやなぁとしみじみ感じた次第です。

結果的に浪人して大学に合格したのは、一緒の予備校に通っていた友人1名くらいです。その友人は国立大学志望だったのですが、なんとか地方の国立大学に合格しました。この友人も、もともと賢いことで有名な友人でしたが、まぁ現役合格は難しいですよね。高校がアレですから・・・。

私の最終の駿台模試の偏差値は、英語55・国語60・日本史63、でした。(英語苦手すぎやろっw)

MAXは、志望校別模試の早稲田模試の国語の結果が一番出来が良かったと覚えてます。

どこ主催の模試だったかなぁ、代ゼミ・河合・駿台のどれかです。

偏差値は正確に覚えてないんですが、65あったような気がします。

偏差値38の高校から、死ぬ思いでここまで持って行ったのは、本当につらかったです。

今となっては笑い話ですが、『浪人って存在価値ないよね?』とか考えるんです。

『来年の今頃、何してるんやろ』とか思っちゃうんです。

 

小学校のうちから頑張ることが、今後の受験を楽なものにすることは、間違いないと考えてます。

だから、娘よ、頑張って!